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frontaさんからコメントをいただきました。ありがとうございます。frontaさんは昨日開幕したフレンチオープンでヒンギスに注目しているそうです。「力に頼らないプレースメントテニス、ドロップショットと意表をついたロブは私の理想形です」と書いてくれました。frontaさんのテニスとも重なりますね。 私もヒンギスは大好きです。笑顔がかわいいし、なんと誕生日が私と一緒です(今回初めて知りました)。生意気なところが嫌いという人がいますが、私の見るところ、たんに屈託がないだけです。英語でインタビューに応じる場合は、達者とはいっても母国語ではないから、言葉の選択やニュアンスで誤解されている面もあるような気がします。 一度引退して復帰した選手がグランドスラムを制覇したら前例のない快挙ですし、ヒンギスにとってはグランドスラムの達成です。フレンチでのドローは第12シード。順調に勝ち進めば4回戦でデメンティエワ(第6シード)、準々決勝でクリスターズ(2)、準決勝でエナン(5)、決勝でモーレスモ(1)かシャラポワ(4)と対戦します。夢の対戦のオンパレードですね。期待しましょう。 ヒンギスのコメントをいくつか紹介します。 私の最大の武器は頭を使うこと。 私にはパワーよりもリズムとタイミングがずっと大切。 スマートでなくてはならないから、頭が痛くなるほど考え抜くの。 ダブルスをやればやるほど、シングルスが上手くなる。 テニスのすべてが好き。ゲーム、コート、競争、勝つためにする すべてのこと。ほんとうに素晴らしいスポーツだと思うわ。 グラフに敗れた1999年のフレンチオープンの決勝を覚えている人も多いでしょう。アンダーハンドサーブを打ったり、相手コートに入ってボールの落下点を確かめたりして、観衆を敵に回してしまいました。次は反省のコメントです。私は断然許します。 すべきでないことをしてしまったと思う。 でも、人間ならだれでも失敗を犯すもの。私ぐらいの年齢だと特にそうだわ。 実際にはロクでもない人間なのに、自分は賢いと思っていたの。 最後にダブルスの名手パム・シュライバーのヒンギス評です。 マルチナはラリーで常に2打先を読んで打っている。 彼女にとってテニスはチェスのようなものね。 マルチナ・ヒンギス(Martina Hingis) 1980年9月30日生まれ。1997年、16歳6カ月で史上最年少の世界ランキング1位。全豪3回、全英1回、全米1回優勝。2002年に引退し、2006年1月に復帰。 #
by tennis_passtime
| 2006-05-30 00:10
| ●プロテニス
▼放課後のテニス[テニス少年1]はこちら
テニス部の初練習に参加するため、健太は体操服を袋に入れて登校した。 昨日、テニスをしたい者は校庭に集まれと先生が言った。たいして期待していたわけではなかったが、やってみるとなかなか面白かった。先生に指名され、みんなが見守るなかで相手役までやらされたが、そこそこ器用にこなすこともできた。 健太は中学に入るのを楽しみにしていた。英語の授業があること、科目ごとに先生が変わること、そしてクラブ活動があることが理由だった。どれも自分を大人に一歩近づかせてくれる変化のような気がしていた。 なかでもクラブ活動には期待していた。毎日、自分で選んだ好きな遊びができるのだから、面白くないわけがない。 ところが、健太が入った中学には、野球部、卓球部、柔道部、体操部、吹奏楽部しかなかった。野球部は先輩が恐そうに見えたし、入部するのは1年生のなかでもわけのわからない乱暴者ばかりだった。卓球部と柔道部は暗くて油臭い講堂の雰囲気が好きになれなかったし、体操部は逆上がりも後転もできない健太には論外だった。吹奏楽部は女のクラブで、もっと論外だった。 入りたいクラブが見当たらなくて困っていたので、先生がテニス部をつくると宣言したとき、健太は即座に入部しようと決めたのだった。 校庭に、昨日の初打ちを体験した生徒のおよそ半分、20人ほどが集まった。 しばらくすると先生が校舎から出てきた。校舎は校庭より高いところにあるので、コンクリートの坂道を下りてくることになる。先生は爪先をトントンと地面に打ち付けて靴を履きながら、入部志願の1年生たちに近づいてきた。 「あれ、ラケットとボールは?」 と、誰かが言った。なるほど、そこには昨日の竹カゴはなかった。 生徒たちの前に立った教師は、「ついてきなさい」と一言いうと、校庭の端にある道具置場へと歩いていった。そして扉を開けると、ツルハシ、スコップ、バケツ、一輪車などを、次々に生徒に割り振った。 「え~、何これ?」 「先生、何するん?」 「テニス部の練習とちがうん?」 怪訝なまなざしを先生は当然の面持ちで受けとめると、ニヤリと笑って言った。 「決まっとるがな。コートを作るんや」 そういえば、健太の中学校にはテニスコートがなかった。テニスコートがどんなものか知っていたわけではないが、平らな地面の上でボールを弾ませて行なうスポーツだとしたら、学校にはそんな場所は無かった。唯一平らな場所は校庭だが、昨日と違い、そこは野球部が占領していた。「えー、そんなあ……」 「うそー、だまされた……」 当然至極なブーイングを浴びながら、先生は楽しくてたまらないという表情で生徒ひとりずつを見渡した。 先生と目が合ったとき、健太は「面白いことになりそうやな」と思った。 ▼テニス少年3に続く #
by tennis_passtime
| 2006-05-28 19:05
| ●連載ミニ小説
自慢するようですが、テニス仲間から「ジム・クーリエに似ている」と言われています。ウソです。全然似ていません。でも、ナダルにはもっと似ていません。それに比べればクーリエには少し似ています。私の話ではなく、クーリエの話でした。 強烈な逆クロスのフォア、野球みたいなハンマーグリップの両手バックハンドをご記憶の方も多いでしょう。絶頂期を過ぎてからも、すべてのショットをひたすらフルパワーで打ち続けていました。メディアからは、プレーもキャラも面白みに欠けると言われたことがあるようですが、私の中ではナンバー・ワンです。 プレーもさることながら、ハートが素晴らしかった。ひとつ印象的なエピソードを紹介しましょう。 3連覇のかかった1993年のフレンチオープンの決勝戦。クーリエはセルジ・ブルゲラに4-6、6-2、2-6、6-3、3-6のフルセットで敗れました。激しい打ち合いを制したスペインの新星は、歓喜のあまりコートに身を投げ出して大の字になりました。 テレビカメラが勝者をアップで捉え、私の思いは画面から消えた敗者の無念さに向かいました。その時です、テレビ画面の端から誰かの手が現れ、ブルゲラに差し伸べられたのです。クーリエでした。クーリエはブルゲラの手を取って立ち上がらせると、汗と赤土にまみれた勝者をしっかりと抱擁したのでした。 敗者がネットを飛び越えて勝者に駆け寄り、そして祝福したのです。誰でもネット越しの握手ぐらいはしますが、相手がコートの向こうで寝転んでしまったら、ベンチに戻るしかないでしょう。それなのに、クーリエの行為のなんとさわやかなこと。私が女だったら、断然クーリエと結婚したいと思うでしょう。 クーリエの現役時代のコメントをいくつか紹介します。 試合が終わったプレーヤーが誇りを持ってコートから立ち去る。 彼は勝っても負けても同じ誇りを持ってふるまう。 だから観衆は彼が勝ったのか負けたのか分からない。 私にとって、スポーツとはそういうものだ。 試合の結果によって自尊心を保とうとすることは危険だ。 自分が才能に乏しいと言われているのは知っている。 しかし、ボールを上手に打つことだけが才能じゃない。 コート上でガッツを失わないのも才能、強く願い続けるのも才能、 0−40で強く打ち抜くことだって才能だ。 友人のK田N正君は現役時代のクーリエを生で見たことがあるそうです。「目いっぱい力を入れて強打するイメージがあるでしょ? 全然違うんですよ。ものすごく柔らかいんです。びっくり しました」。信じ難い気もするけれど、プロのレベルはそういうものかもしれないという気もします。ぜひ、この目で見たかった。 ジム・クーリエ(Jim Courier) 1970年、アメリカ生まれ。全仏2回、全豪2回制覇。1992−93年、58週連続で世界ランクNo.1。2000年に引退、2005年にテニス殿堂入り。現在は解説やシニアツアーで活躍。 #
by tennis_passtime
| 2006-05-26 01:35
| ●プロテニス
2006年4月16日、長野マラソンに出走しましたが、35キロ地点で無念のリタイア。ここに大会終了後の緊急記者会見の内容を紹介し、応援してくださったみなさまへの報告に代えさせていただきます。35キロでギブアップしたのですか? 35キロの関門の制限時間に13秒届かず、バスに収容されました。「乗ってください」と言われておとなしく従いましたから、ギブアップといえばギブアップです。4回目のフルマラソンで初リタイア。無念です。 制限時間で通過できなかった原因は? 長野大会は制限時間5時間の大会でした。一方、私の自己記録は5時間21分。完走するには、5キロごとの関門をどれも制限時間スレスレで通過して、ギリギリ5時間で完走するイーブンペース走しかないと自分に言い聞かせてレースに臨んだのですが……前半オーバーペースになってしまい、後半バテました。42.195キロは長いということは過去3度走ってわかっているのに……バカですね。 レース展開を振り返ってください。 前半、つい分不相応なペースで走ってしまいました。「マラソンにまぐれはない」ということですね。完全なイーブンペースと比べたら、20キロ地点で30分も貯金をつくってしまいました。その直後にガクンときて、25キロ地点での貯金は7分、30キロ地点では係員の秒読みを聞きながらもがくように通過しました。 初マラソンでは35キロから回復したんでしたよね? 今回はダメでした。じつは、右足親指の付け根を痛風で腫らしてしまい、かばいながら走っていたら膝まで痛めてしまったのです。 体調管理ができていませんね。 そう言われても仕方ありません。前々日が金曜でしょ、つい飲むじゃないですか。前日は、いっしょに走る友人と久しぶり会いましたから、やっぱりつい飲むじゃないですか。 そんなことでは記録の更新は無理です。 記録より記憶に残るランナーになりたい(笑) 言っている意味がわかりませんが、長野にはいやな記憶が残りそうですね。 とんでもない。長野マラソンはほんとうに素晴らしかったです。市民ランナーによる投票で、2005年の人気ナンバーワンの大会だったんですよ。コースもいいですが、沿道のみなさんの声援があたたかい。少年野球のちびっ子たちや、セーラー服の女子高生たちにまで、「ガンバッテ~!」って言ってもらいました。うれしくてTear of Joy, Joy of Runでした。 「喜びの涙、走る喜び」ですか? 走りながら考えた長野マラソンのキャッチフレーズです。こうみえても私、英語には自信あるんです。中1で英検4級とってますからね。TOEICは受けてませんけど。私のころは英検でしたから。 別に自慢するほどのことでは…… やっぱりそうですか。このごろはTOEICですかね。3月に神奈川県の三浦国際マラソンを走ったとき、これはハーフですけどね、そのときはChasing Ponytail, Entering Nirvanaでした。意味わかります? ポニーテールの女の子を追いかけて天国にゴールイン、という意味です。言われなくてもわかる? そうですか。女の子といっても、私ぐらいの年齢だと39ぐらいまでは女の子ですけどね。どうでもいい? そうでしょうね。 長野ではポニーテールの女の子はいなかったんですか? いました。いましたけど、追い越してしまいました。スタート直後に発見して、しばらく後ろを走ったんですけど、7キロあたりで追い越してしまいました。最後まで後ろにくっついて走っていれば完走できたかもしれない。悔やまれます。 3年前の荒川市民マラソンが初マラソンでした。意外に続いていますね。 「テニスをやってる」と言っても、「そうですか」で終わりですが、「マラソンやってます」と言ったら、「すご~い」と感心してもらえて、「5時間以上ですから、全然たいしたことないです」と言っても、「5時間も走るなんてすご~い」とか言ってもらえるので、「じゃあ僕のおごりでもう一杯」というようなことになりますからね。それで続いているようなものです。Talking Marathon, Chasing Ponytailというわけです。 「すご~い」の前に、何か言葉がくっついてるんじゃないですか? 「その体型にしては」ですね。ほっといてください。 次の目標は? (きっぱりと)体重と尿酸値を下げて、来年の長野マラソンで完走することです。 それでは記者会見を終わります。 #
by tennis_passtime
| 2006-05-25 01:06
| ●所長のマラソン・登山
このブログはテニスのブログですが、テニス以外にマラソンの趣味もある関係で、ときどきマラソン話も混ざります。おつきあいください。
私の初マラソンは3年前、2003年3月23日の荒川市民マラソンでした。ヘロヘロになりながら、なんとか42.195キロを走破しました(ずいぶん歩きましたが)。ここに自らの努力を称え、完走後の記者会見の模様をお伝えします。 突然、マラソンに挑戦したのはなぜですか?マラソン好きの友人と新年会で飲んだとき、酔った勢いで出走宣言してしまいました。ハーフマラソンのつもりで「やる」と言ったのにフルマラソンだったと分かった時はちょっと焦りましたが、座右の銘、「どないかなるんちゃう」の精神で乗り越えました。 準備はどの程度しましたか? 準備期間は約2か月。おもにジムで走りました。5キロと10キロを数回ずつ、20キロを2回、30キロを1回走りました。マラソンの技術解説書も2冊買いました。妻には「本代がもったいない」と叱られましたが、その非難に耐えることで精神力を鍛えました。 荒川市民マラソンというのは? フルマラソンの出走者だけで1万2688人を集めた大イベントです。運営協力のボランティアの数も半端ではなかったですね。コースは河川敷の平坦な遊歩道、片道約21キロを1回折り返すだけのシンプルで走りやすいコース。交通規制の必要がないため制限時間も7時間と長く、参加者数・完走者数ともに全国一のマラソン大会だそうです。主催は板橋区です。 1万2688人とはずいぶん多いですね。 エントリーが遅かったので、私なんかスタートラインを越えたのは号砲から13分後でした。 エントリー料はいくらですか? 4000円です。1キロたった95円。しかも、参加賞にTシャツとタオル。さらに、2週間ほどして写真とスプリットタイム入りの記録証が郵送されてきました。給水地点ではスポーツドリンク、バナナ、オレンジ、アンパン、シャーベットなどをいただきました。いたれりつくせりです。 1万人以上のスプリットタイムなんて、どうやって計るんですか? 全員がチップをシューズのひもに通して装着します。それが10キロごとに設置された機械に反応してタイムが記録されます。 それで、あなたのタイムと順位は? ネットタイム(スタートラインをまたいだ時からゴールインまでの所要時間)で5時間28分51秒。一般男子完走者9,689人中8,483位でした。ちなみに、男子の優勝タイムは2時間27分31秒(速い!)。私は優勝者の2倍以上走ったことになります(長い!)。 レースを振り返ってください。 精神的には2キロあたりがいちばん辛かったです。この先、ここまでの距離の20倍走るのかと思うとうんざりしました。折り返し点前では、疲労でペースが落ち、完走できても6時間を超えそうだなあと計算したのを覚えています。35キロ過ぎから不思議と体が軽くなってペースが上がりました。ゴールが見えたときは心臓がドキドキし、ゴールインしたときは「もう走らなくていいんだ」と喜びがこみあげました。 完走のコツは? 後ろ姿がイケてる女性を追いかけて無心で走ります。はぐれたら別の女性を探します。追い越す際に振り返ると、たいていがっかりしますし、リズムが乱れて体に負担がかかるので要注意です。 それのどこが「無心」なんですか? 邪心も突き詰めれば無心になる。マラソンはランナーを哲学者にするのです。 体重は減りましたか? 1.5キロしか減りませんでした。給水地点ごとにバナナをパクパク食べたからでしょうか。 初マラソンを完走して思ったことは? よくぞ訊いてくれました。 (1)42.195キロは長い。 (2)リタイアさえしなければいつかはゴールインできる。 (3)持久力は年齢と関係ない。 (4)テニスよりキツイけど、テニスほど残酷ではない。 最後の、「テニスよりキツイけど、テニスほど残酷ではない」とは? マラソンは体調や実力が正直に出て、納得できます。走り終わったあとは、結果にかかわらずシンプルな満足感があります。でもテニスは相手のある勝負ですから、実力を出せないまま生殺しみたいな負けを喫することもあって、その点がちょっと残酷かなと。 マラソンはテニスに役立ちますか? テニスコートが取れていないときにも体を動かせるのがいいですね。 質問の意図からずれていますが……まあいいです。また走りますか? はい、また走りたいです。次回は5時間以内をめざします。 失礼ながら、体型からはとてもマラソンを走る人のようには見えませんが。 みなさんそうおっしゃいます。ほっといてください。 最後に一言どうぞ。 自分で自分をほめてあげたい。だれか私をほめてください。 それではこれで記者会見を終わります。 #
by tennis_passtime
| 2006-05-23 02:49
| ●所長のマラソン・登山
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