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41歳のサラリーマン遠野悠二は、仕事も家庭も順調なのだが、「何かが足りない」と感じていた。ふとしたきっかけで忘れかけていた野球と再接近。『フィールド・オブ・ドリームス』の主人公に降る天の声──それを作れば、彼はやってくる──にひらめいて草野球のチームをつくろうと思い立つ。 出会いが出会いを呼んで、トントン拍子にできたチームがミステリーズ。対戦相手に送るメンバー表に書いたチーム紹介は「最高年齢68、最低年齢11、職業多彩、美女多数、遊び愉しむスピリットにかけては本邦無比、実力未知数、これぞミステリーズのミステリアスな魅力」。 人間関係にもう少しドラマや陰影がほしいと思わないでもないけれど、さわやか度100%に免じてOKとしましょう。年齢不問の青春小説。キャッチボールっていいなあ、野球っていいなあ、スポーツっていいなあ、と思えること請け合いです。 赤瀬川隼『それ行けミステリーズ』 文春文庫、1996年、本体534円 #
by tennis_passtime
| 2006-06-10 16:48
| ●読書ノート
▼前回インナーテニス2に戻る
▼初回インナーテニス1に戻る 無心になる--事実のみに精神を集中させる--ための方法として、コーチは6つの練習方法を教えてくれた。 男は家に帰ってから、コーチに説明してもらったり、実際にコート上で指導してもらったりした練習法を思い出しながら、メモにまとめた。 練習1=タイミング確認法 ・飛んでくるボールの動きをよく見て、ボールがコートにバウンドしたら「ワン」と言い、打つ瞬間に「ツー」と言う。 ・「ワン」でどうする、「ツー」でどうする、といったことは一切何も考えない。ただ「ワン」「ツー」と言うことだけに集中する。 ・空振ろうが、打ったボールがあさっての方へ飛ぼうが、いっさい何も考えない。ただ「ワン」「ツー」と言うことに集中する。 ・この練習により、打ち方をあれこれ指示してくるセルフ1を封じ込めることができ、正しいタイミングで--自分固有のリズムで--打てるようになる。たとえば、「ボールがバウンドするときにはテイクバックを完了しておく」といったことを意識するのは無意味。そういうリズムが合う人もいるし、合わない人もいる。どのタイミングで何をするかは、飛んでくるボールによっても違う。そういう複雑な調整は、スーパーコンピューターのようなセルフ2(無意識)にやってもらうしかない。 練習2=スポットマーク法 ・打った球の落下地点をよく見て、何センチアウトしたか、何センチ入っていたかを10センチ単位で目測する。 ・10センチアウトなら「プラス1」、20センチアウトなら「プラス2」……と言う。ただそれだけ。 ・10センチ内側に入っていたら「1」、20センチ内側に「2」……と言う。ただそれだけ。 ・「プラス」がついたら失敗などと考えない(測定に夢中になって、考えるのを忘れるはず)。 ・こう打ったら「プラス5」だったから、今度はこう打とう、などと一切考えない。そういう複雑なことはセルフ2にやってもらうしかない。 ・打球の深さ(長さ)だけでなく、角度(コース)や軌道(高さ)についても、自分なりの目盛りを設定して、同様の練習を行うことができる。 練習3=ボールペインティング法 ・ボールが飛んでいった軌跡がコート上の3次元空間に描く「絵」(線画)を思う。 ・ボールの運動芸術に没頭するあいだ、セルフ1は不在となり、すべてをセルフ2がやってくれる。 ・ある軌跡を描くには、からだをどう動かすかという複雑な調和作業のためのデータがからだに蓄積される。 ・5回までだったラリーが50回続くようになる。ショットに不安を感じなくなる。テニスが新鮮になる。 練習4=ボールライド法 ・縄跳びの回転にあわせて走り込むように、ラリー中、球を追って、自分の感覚をひょいとボールに飛び乗らせる。 ・風を感じる、打たれて痛いと感じる、インパクト直後は速いが軌道の頂点では遅くなる……というように、ボールを一人称で感じるようになる。 ・テニスで重要なリズムが、外からつかむものとしてではなく、自分自身で作り出すものとしてからだにしみ込む。 ・これまで打ったことのないような、自分でも驚くようなショットが打てるようになる。 練習5=感覚集中法 ・何が悪かったか問われると、「ボールを見ていなかった」とか「フォロースルーが不十分だった」とか、行なうべきだったのに行なわなかったことに言及するプレーヤーが多い。しかし、それは経験しなかったことであり、<事実>ではない。「--しなかった」という認識はセルフ1による推論であり、現実逃避である。 ・「正しい打ち方」(行なうべきこと)は実際に起こっている出来事ではない。すなわち、これも<事実>ではない。 ・意識の一方に「事実ではない正しい打ち方」を置き、もう一方に「事実ではない自分の打ち方」を置いて、ギャップを埋めようと意識しても、ギャップ自体が事実として存在しないので、埋めようがない。10も20もチェックポイントを設けて、足がもつれて歩けなくなったムカデみたいになる。永久に満たされないフラストレーション。 ・正しいスイングを意識するのではなく、「いま自分のからだがどんなふうに動いているか」--これが<事実>--を感じる。その感覚(事実)に意識を集中させる。 ・ボールを打つときに、たとえば「きゅうくつ」「ぎくしゃくする」「力が入らない」「手がしびれる」……といった違和感(事実)を感じたら、goodとかbadとか判断せず、意識して直そうともせず、違和感そのものに感覚を合わせ続ける。からだの声に耳を澄ませる。 ・こうして自分の内側で起こっている事実を感じることで、ミスを自動修正するフィードバック機能がはじめて動き始め、セルフ2によるコーディネーションが可能となる。自分に合った打ち方が身につく。 練習6=呼吸集中法 ・テニスにはポイントとポイントの間に中断がある。意識をボールに集中させる方法では、プレー中断中に集中が途切れる。 ・そこで、常に自分とともにある「呼吸」に意識を集中するという方法が有効である。それによって、セルフ1に仕事をさせなくして、無心の境地に入ることができる。 ・「呼吸に集中する」とは、ゆっくり大きく吸おうと意識したり、呼吸を静め脈拍を整えようと意識することではない。「いま自分はどんな呼吸をしているか」を見つめる。ただそれだけである。セルフ2に呼吸もセルフ2に行なわせること。 男は自分が書いたメモを見ながら、これからテニスをするときはこの練習をやっていこうと決心した。これらの練習は、仲間とふつうのストローク練習やボレー練習をするやときでも、自分のなかで行なうことがきできる。 しばらくたったある日、男はいともやすやすとボレーをしている自分に気づいて驚いた。あれこれ意識していた細かなチェックポイントはいっさい放念し、ただインパクトが<腕に心地よいか>どうかにだけ神経を集中し続けた結果だった。 これだ、コーチが言っていたその時が来たんだ!と思わず心の中で叫んでいた。 ボレーが上達したことを報告し、お礼を言うために、男はふたたびコーチのもとを訪ねた。 コーチは我が事のように喜んでくれたばかりか、独自のテニス理論のさらに続きを教えてくれた。その教えは、男のテニス観を変えただけでなく、おおげさに言えば人生を変えるほど大きなインパクトがあった。 注:上記の練習法はティモシー・ガルウェイ著『インナーテニス』に紹介されているが、練習方法の名前はこの記事上で独自のものに変更している。 to be continued #
by tennis_passtime
| 2006-06-09 07:43
| ●雑学・技術・科学
▼前回インナーテニス1に戻る
コーチによれば、男が犯している間違いの2つ目は、「一球ごとに、いまのは良かった、いまのは悪かったと判断していること」だという。 「良いとか悪いとか判断してはいけないというのは、どういう意味ですか?何も考えずに打っていたのでは、欠点の直しようがないじゃないですか? ただ漫然と、アウトだ、インだ、とだけ思いながらボールを打っていればよいのですか? それとも、そんなことさえ判断してはいけないのですか?」 皮肉っぽく聞こえたかと心配になったが、コーチは気にしなかったようだ。 「いまのはgood、いまのはbadと判断するということは、結局のところ、何をしていることだと思うかね?」 男はそれには答えず、コーチに話を続けてくださいと目で促した。 「それはテニスコートの上で自分に話しかけているということだ。ほとんどの人が、常に何かを自分に話している。テイクバックが遅れた、スイートスポットに当たらなかった、手首をこねた、苦手なバックにボールが来た、どうしよう困った、ああまた失敗した、下手クソ、恥ずかしい、情けない……テニスをしているあいだ片時も休むことがない。つまり、テニスプレーヤーの中には2人の人間がいるんだ。わたしはこれを<セルフ1>と<セルフ2>と呼んでいる」 セルフ1? セルフ2? 「わたしの造語だから聞いたことがないだろうがね。命令し、評価し、結果を予測し、失敗を恐れ、叱るのがセルフ1。意識、自我、エゴと言ってもよい。そして、命令され、評価され、叱られるのがセルフ2だ。無意識、本能と言ってもよい。セルフ2は素晴らしい能力の持ち主なのだが、セルフ1にあれこれ言われて縮みあがり、スムーズな運動ができないでいるんだ」 「それはわかります。たしかに、結果や勝敗を考えないで無心でプレーしているときほどいい結果が出ますからね」 「そう。フォールトのサーブはうまくリターンできるのも、その理屈だ」 「わたしはイレギュラーしたボールが好きで、思いがけずいい球が打てることがあります。とっさにラケットを合わせるだけなんですけどね」 「とっさの身体反応では、あれこれ考える暇がない。つまりセルフ1の出る幕がなく、セルフ2だけでからだが動く。だから、いい結果が出る。きみの本来の能力とかセンスが発揮されるんだ」 「ということは、イレギュラーじゃない普通の球を打つときにも、セルフ1にできるだけ仕事をさせなくすればいいということですね。Goodとかbadとか判断するのはセルフ1だから、判断するという行為を停止すれば、セルフ2が働いてくれると」 「そう、わかってきたね」 でも、どうすれば判断や評価をしないで無心でプレーができるのだろう? コーチの理論は理解できたが、無心になることは簡単ではない。とくにトーナメント試合で無心になることの難しさは、負けた悔しさとともに嫌というほど味わっている。 「無心になる--つまり、セルフ1を黙らせ、セルフ2でプレーするためには、ただ<事実>のみに精神を集中すればいいんだ」 人の良さそうなコーチが、剣の極意を語る剣豪のように見えてきて、ちょっとおかしかった。 「飛んでいったボールにはgoodもbadもない。Goodとかbadとかは判断であり、評価であり、感想であって、事実ではない」 「Goodやbadが事実じゃないのはわかりますが、じゃあ<事実>って何ですか?」 「たとえば、<ボール>というのは物理的実体であり、その意味では事実だ。ただし、<速いボール>はどうか? 必ずしも事実じゃない。打ちにくい、振り遅れるかもしれない、こんな球を打つ相手には勝てない、といった過去の記憶からくる不安とか先入観、つまり事実以外の衣をまとっているかもしれないからね。そういうもの一切を排除した、いま目の前で起こっている純粋な出来事が<事実>ということなんだ」 <速いボール>は事実じゃない。でも遅いか速いかを判断しないと、それこそ振り遅れたり、振り急ぎになる。<時速100キロのボール>ということなら事実なのか? それではスピードガンを持ってプレーしなくてはならなくなる。 わかりかけた話が、また少し遠のいたような気がして、男は少しがっかりした。好き勝手にやっていればマスターできるという話だったのに、いつのまにかずいぶん難しいことになってきた。好き勝手にやるということが実は難しい、ということなのかもしれないが。 男の不安げな表情に気づいたコーチが笑いながら言った。 「言葉で説明すると難しくなるが、実際はそれほどじゃない。少し練習すれば、だんだんセルフ2が自由に動き始めて、こういうことなのか、と実感できるはずだ。からだで覚えるということだね」 「ほんとうですか? どんな練習をすればいいんですか?」 男の問いに答えて、コーチは6つの練習方法を教えてくれた。それは、これまで聞いたこともないようなユニークな練習方法だった。 次回(インナーテニス3)に続く #
by tennis_passtime
| 2006-06-09 07:33
| ●雑学・技術・科学
長野マラソン途中棄権は既報の通り。挫折から雌伏49日の2006年6月4日、わたくし、草テニス界の井筒和幸、またの名をカラオケボックスの小椋佳は、マラソン初挑戦の地、荒川でリベンジの長征へと赴いた。
失った恋の痛手は新しい恋で癒やせ。リタイアで傷ついたプライドは完走で癒やせ。スタートの号砲が鳴り響き、サイは投げられた。 それでは、マラソン終了後の恒例となった記者会見を行ないます。 リベンジはできましたか? ………… 傷ついたプライドは癒えましたか? ………… もう少し大きな声でお願いします。 今日の記者会見は中止です。 リタイアしたんですね。 (気を取り直し)30キロ付近から歩き始め、35キロ付近でリタイアしました。 原因は? (千代の富士を気取って)体力の限界! 今回はお友だちといっしょに参加したそうですが。 (一転、うれしそうに)よく聞いてくれました。FI君とAS嬢、2人の弟子を楽しく苦しいマラソンの世界に引っ張りこみました。2人とも初マラソンでしたが、見事に完走しました。タイムはFI君が5時間46分、AS嬢が5時間29分でした。 "弟子"に負けたわけですね? 弟子に乗り越えられることは、師として最高の喜びです。 初マラソンに挑む2人に、どんなアドバイスをしましたか? 2つ助言しました。前夜は早く寝なさい。スタート前にトイレを済ませておきなさい。 遠足前の小学生に言うみたいな注意ですね。 弟子のFI君にも、そう言われました。 尊敬されている師ではなさそうですね。 そんなことはありません。いっしょに風呂に入ったとき、FI君は私のからだを見て、「そのお腹でよくフルマラソン、走り切りましたね」と感心してましたから。 いいですか、小学生に言うような注意が大事なのです。アテネオリンピックの前に高橋尚子が失敗したとき、小出監督は、「私がついていたら、しっかり食べるように言ったのだが」と悔しがっていたではありませんか。 走り方とかペース配分の注意とか、そういうことは? マラソンなんて、右足と左足を交互に動かしていれば、いつかはゴールインできるんです。早寝とトイレで完走できるんです。 しかし、あなたはリタイアしたんですよね? しかも長野に続いて連続で。 フルマラソンの完走率60%になってしまいました。ほっといてください。 2回連続のリタイアですが、まだマラソンは続けますか? もちろんです。完走後のビールを飲みたいです。 これで記者会見を終わります。 #
by tennis_passtime
| 2006-06-07 03:14
| ●所長のマラソン・登山
ボレーがうまくできず、悩んでいる男がいた。スクールに通い、テニス雑誌を読み、熱心に練習するのだが、効果がなかった。
ある人が、コーチを紹介してくれた。「テニス観が変わるほど上達したよ。ユニークな教えだけど、気に入るんじゃないかな」 期待を胸に、男は紹介してもらったコーチのもとを訪ねた。 コーチはにこやかに迎えてくれ、さっそくレッスンを始めてくれた。 ボレー練習を始めて間もなく、コーチが歩み寄ってきた。 「きみは2つの間違いをしているように見える。ほとんどの人が陥っているのと同じ間違いだ」 何度も注意されていたから、男にはわかっていた。踏み込んでボールを体の前で捉えていないことと、手首を使ってラケットを振ってしまっていることだ。ところが、コーチの指摘はそういうことではなかった。 「きみの間違いは、まず、自分のフォームを正しいフォームに近づけようとしていること、そして、一球ごとに、いまのは良かった、いまのは悪かったと判断していることだ」 え、それがなぜ悪いのだろう? 男は面食らった。 「正しいフォームに近づけようとしないのなら、練習の意味がないのでは?」 「正しいフォームに近づけようと意識すると、絶対にそこには到達しないんだ」 ますます面食らう話だ。 「人間のからだは精妙にできていてね、頭であれこれ指示せず、からだに勝手にやらせておけば、いつのまにかベストなフォームを発見してくれるものなんだ」 「そんな無茶な。センスがある人ならそうかもしれないけど、ぼくなんかだと、きっと変なクセがついてしまいます」 「外から教わった正しい打ち方に近づけようとすると、やれグリップがどう、テイクバックがどう、体重移動がどうと、チェックポイントだらけになるよね。瞬間的にぜんぶ正しくやるなんて不可能だと思わないかい?」 確かにそれは男の悩みを言い当ててはいたが、だからといってコーチの考えが正しいとは思えなかった。 「だから何度も練習して、無意識のうちにできるように体に覚え込ませるんじゃないですか」 「残念ながら、そうやって努力した果てにからだが覚え込むのが、きみのいう変なクセなんだ。手首を使うな、ラケットは振るな、左足を踏み込め、面は少し上を向けろ……外からあれこれ言われるから、タイミングの遅れたモグラ叩きゲームみたいにギクシャクする。それを何度も何度も練習で繰り返すうちに、芸術的とさえいえるような奇妙なフォームが固定されるというわけだ」 「スクールで教わることは無駄だと?」 「無駄どころか、百害あって一利なしだ。外からのアドバイスで正しい打ち方をマスターさせようという教え方なら、だけどね」 ずいぶん大胆なことを言う人だ。世のレッスンプロから抗議はないのだろうか。 「それにしても、やはり理に適ったフォームというのがあるんじゃないですか? 勝手にやっていたのでは、そこに行き着けないでしょう?」 「理に適ったフォームというものはある。ただ、それはその人の外にではなく、内にある。だから、内側からしかそこには行き着けないんだ。ああしろこうしろと外から命令せず、からだの中にもともと潜んでいる最善のフォームが生まれる時、ベストショットを生む運動が姿を現す時を、楽しみに待っていればいいんだ」 「それならたずねますが、それが理に適った打ち方です、いまあなたはそれをマスターしました、と誰が合格点を出してくれるのですか」 「それはきみ自身さ。からだの知性が、これでひとまず完成、ということを教えてくれる。からだの動きのどこか一箇所が補正されれば、他の不具合も待ち構えていたかのように自然に正しい運動を始める」 それを聞いて思い当たることがあった。テニスを習い始めたころ、1つのことができても、次の指導を受けるとそれができなくなり、ようやく2つ同時にできるようになっても、3つ目の指導を受けるとまたできなくなるということを何度も経験した。そのころと今ではレベルは違うが、いまでも、部分ごとの改善がショット全体に自然に溶け込まないもどかしさは感じることがある。 「マスターした時は、これだ!とわかる。そのときのフォームは、雑誌に載っている連続写真とは違うかもしれないが、きみ固有のからだのバランスやリズムを有効に取り入れた最高の自然体、最も理に適ったフォームというわけなんだ」 正しく打とうと努力していたこれまでの考えと180度違うので、まだまだ半信半疑だったが、コーチの話には、うなずける部分が少なくなかった。 男は、コーチが指摘した2つ目の「間違い」についてたずねることにした。 「さっきコーチは、一球ごとに良かった、悪かったと判断するのは間違いだと言いましたよね。でも、何も考えずに打っていたのでは欠点の直しようがないのではないですか?」 ▼次回インナーテニス2に続く ……………………………………………………………………………………… この記事は、ティモシー・ガルウェイが『インナーゲーム』および『インナーテニス』(いずれも後藤新弥訳、日刊スポーツ出版社)で展開している理論のエッセンス(と私が解釈したもの)を、対話形式のストーリーにまとめたものです。4回に分けて紹介します。私の手元にある2冊は絶版ですが、いまは『新インナーゲーム―心で勝つ!集中の科学』(後藤新弥訳、日刊スポーツ出版社、定価1365円)が出版されています。一読をお勧めします。 #
by tennis_passtime
| 2006-06-03 13:14
| ●雑学・技術・科学
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