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「テニスの森」ブログを愛読してくださっているみなさんに大切なお知らせがあります。「テニスの森」は、本日より名称を「横浜テニス研究所」と改めます。内容および気分にはいっさい変更はありませんので、引き続きご愛読ください。 変更の理由は検索でたどりつきやすくするためです。「テニスの森」はGoogleで87,300件(ページタイトルのみでも141件)、Yahoo!では2,660.000件(418件)で、これでは誰もたどりつけません。ブックマークしていないパソコンから入ろうとして、自分でもたどり着けなかったぐらいです。 その点、「横浜テニス研究所」なら、Googleで28,800件(ページタイトルのみなら0件)、YAHOOで299,000件(同1件)だけ。これなら、検索でたどり着けそうです。 新しい名前を考える過程で、さまざまな案が浮かんでは消え、消えては浮かびました。100案以上書き出して、会う人ごとにアンケートをとったりしました。この情熱を仕事に向けていれば、いまごろテニスコート付の別荘を持つ身になっていたでしょう。以下は、そのなかでも、捨て難かった案、推してくれる人がいた案です。 お笑いテニス 風と水とテニス 恋のドロップショット 心はいつもウインブルドン センチメンタルテニス テニス狂想曲 テニス探偵事務所 テニス中毒かもしれない テニスとビール テニスな日々 テニス脳 テニスの宇宙 テニスの王国 テニスのおもちゃ箱 テニスの迷宮 テニスは神様からの贈りもの 晴れたらテニス、雨でもテニス ラケットおじさん わたし100歳までテニスできそうな気がします 最終的に、「所長」の肩書きに惹かれて「横浜テニス研究所」に決定しました。というわけで、「横浜テニス研究所」(Yokohama Tennis Institute)は本日より活動を開始、わたくし、横浜のジム・クーリエ、またの名を居酒屋の記憶喪失男が、めでたく「所長」に就任いたしました。よろしくお引き立てのほど、お願い申し上げます。 写真は当研究所のマスコット、フクロウの「ふくちゃん」です。 #
by tennis_passtime
| 2006-07-29 17:44
| ●はみだし日記
にわかアーユルヴェーダおたくを自称する友人から、「あなたはカパ体質だと思う」と言われた。カッパ? 一瞬、わが頭頂部の毛髪状況のことを言っているのかと思ったが、そうではなかった。
アーユルヴェーダでは、ドーシャと呼ばれる生命エネルギーが人間の心と身体を司っていると考えられている。そのドーシャにはヴァータ(風)、ピッタ(火)、カパ(水)の3種類があり、どのドーシャが優勢かによって、その人の体質や性格が形づくられているというのです。ふむふむ。 友人のミセス・アーユルヴェーダが言うには、カパ体質の人の特徴は、おだやかで寛大、辛抱強く着実、慈愛に満ちて献身的……なんと立派な! もしかしたら私をくどいているのだろうか。ちょっとドキドキしながら自分でも調べてみたら、残念ながらそういうわけではなさそうだった。 というわけで、以下はごく簡単なドーシャ調査レポート。あなたは何体質? 複数のドーシャが主従のウエイトで混在している場合もあるそうです。 ヴァータ(風)体質・明るく快活 ・頭の回転が速く器用、順応性がある ・感性ゆたかで独創性がある ・好奇心が強く、物事を率先して行なう ・話し好きで早口。話題が豊富(話があちこちに飛ぶ) ・落ち着きがなく衝動的で、気分が変わりやすい ・ストレスを受けやすく、緊張し落ち込むことが多い ピッタ(火)体質・勇敢でリーダーシップがある ・集中力があり知的で行動にムダがない ・チャレンジ精神や向上心が旺盛 ・政治、経済、科学技術系の話題に興味を持つ ・大きな声で自分の考えをはっきり主張する ・頑固で完璧主義、プライドが高く負けず嫌い ・いら立ちやすく怒りっぽい カパ(水)体質の特徴・愛情ゆたかで寛大、献身的 ・争いを好まず、めったに怒ったり興奮したりしない ・ゆったりと話し、物腰が柔らかい ・慎重で辛抱強く、集中力がある ・リラックスしている ・鈍感でおおざっぱ ・優柔不断、怠惰 頭の回転は遅いし、向上心に乏しいし、戦わずして泣き寝入りするし、私、たしかに「カパ」ですね。ほとんどテニスに向いてないじゃないですか。ま、いいか(←これもカパ?) #
by tennis_passtime
| 2006-07-09 12:00
| ●はみだし日記
2大会連続で途中棄権、「リタイア男」などという不名誉なレッテルを貼られた私は、傷心を皮下脂肪と笑顔につつみ、信州乗鞍に向かう車中の人となった。失った誇りを取り戻すには、日本でいちばん高いところを走る「乗鞍天空マラソン」を完走するしかない。レースは2006年6月25日に行なわれた。
![]() 「乗鞍天空マラソン」とは夢のある名前ですね。 海抜1800mから2700m、雲の上のスカイラインを駆け抜ける素晴らしい大会でした。雪の壁に挟まれて走るマラソンなんて、ほかにないでしょう。好天にも恵まれ、最高でした。 「リタイア男」の汚名は返上できましたか? よくぞ聞いてくれました。3時間30分31秒で見事に完走しました。 えっ、4時間を切ったんですか?! フルじゃなくて23kmです。ついた名前が「ハーフマラソンのサブ・フォー男」。リタイア男のほうが哀愁があって女性にもてたかも。 ハーフにしてはずいぶんかかりましたね。 スタート前に係の人から、「最初の1kmで歩くと、その後ひたすら歩くことになりかねません」という話がありましたが、まったくその通りで、折り返し地点まで完全に歩いてしまいました。 そんなに急坂だったんですか? 上り坂が辛いという以前に、息が苦しくて走れませんでした。いきなりビリから数えて5番目ぐらいに落ちました。高地をなめたらいけません。エルサルバドルは標高2800mですが、平地だと敵わないブラジルやアルゼンチンともホームでは互角だそうですから。 エルサルバドルではなくてエクアドルです。 ……よく知ってますね。 最終順位は?242位でした。 参加者は? エントリー数は332人でした。 ずいぶん挽回したじゃないですか? 歩いても、平地ほど、走っている人と差がつかなかったみたいです。それに、呼吸器系以外は元気だったので、下りは完走できましたから。 「天空」の景観はどうでしたか? 見上げれば乗鞍岳の大雪渓、足元に目をやれば清流に咲く可憐な花。緑の涼風と鳥のさえずりに包まれて歩けば山頂の笑顔。母の慈愛のような大自然に包まれて心満たされました。 マラソンで詩人になったみたいですね。 観光パンフレットを読んでみました。 レースは楽しめましたか? それはもう。折り返して下ってくるランナーが、みなさん激励の声をかけてくれるので、苦しいのに笑みがこぼれました。ちなみに、参加ランナーの最年少は15歳の少女、最高齢は80歳のおじいさんでした。大会ボランティアのみなさんも本当に親切で、元気をいっぱいいただきました。 一人で参加したんですか? AS嬢がいっしょでした。どうせ訊かれるから言いますが、彼女は3時間30分30秒でした。また負けてしまいました(涙)。 千葉真子さんも走ったそうですね。 はい。すれ違うとき、わざわざ私のために立ち止まって、「上はもっと素晴らしいですから、最後まで頑張ってくださいね」と励ましてくれました。断然ファンになりました。ぜひ、北海道マラソン3連覇を成し遂げてほしいです。 ところで、乗鞍天空マラソンは今回が第1回目だったんですね。 よくぞ聞いてくれました。私のマラソンの師匠が「やろう」と言い出して始まった大会なんです。地元の観光組合や商店のみなさん、役所のみなさん、環境庁や警察のみなさんの理解と協力を得て、やっと実現にこぎつけたそうです。 思いついただけでなく実現させたのが偉いですね。 師匠ではありますが、正直なところ、アル中寸前の奇人だと思っていましたから、大いに見直しました。 開会式と閉会式の進行をされていた方ですよね? そうです。「野グソ、立ちション、しないでください」などと注意事項をアナウンスしていた人物です。冗談じゃなく、厳重な自然保護地域ですから、かなり気を使ったみたいです。 競馬の予想屋みたいな風体のおっちゃんでしたね。 耳に赤鉛筆はさんでいたら完璧でしたね。 来年も参加しますか? 絶対に。 来年参加することを考えている人にアドバイスを。 申し込みはほどほどに。希望者が殺到して抽選になりかねないので。 ![]() ![]() 師匠の手作りによる抽選箱(左)と無料入浴券(中) ボランティアの方が徹夜で彫った参加者の名前入りの木製キーホルダー(右) #
by tennis_passtime
| 2006-06-29 03:42
| ●所長のマラソン・登山
![]() ![]() ![]() 私が所属するT-Oneは、横浜では有名な、泣く子も笑うテニキチ集団である。なぜ泣く子も笑うのか? 団体戦の予選リーグで、T-Oneと同じブロックに入れば1勝は計算できるからである。失礼な。 そんな状況にいつまでも甘んじるT-Oneではない。このたび強化選手3名を選抜し、チーム力強化のための長期計画に着手した。それでは、将来のT-Oneを背負って立つ3人を紹介しよう。写真左から、T橋夫妻のあいだに生まれたナオ君、S藤夫妻のあいだに生まれた双子のユウ君とタッ君である。 所長:みんなそろってるな。おはよう! ナオ:オハヨウ ユウ:オハヨウ タク:オハヨウ 所長:みんな元気いいね。きみたち、おじさんのこと知ってるかな? ナオ:知ってる ユウ:知らない タク:変な顔 所長:おじさんはT-Oneというテニスチームで、きみたちのパパやママとお友だちなんだよ。 ナオ:T-Oneって強いの? ユウ :強くないってパパが言ってた。 タク:ママも言ってた。 所長:だから、きみたちに、はやくテニスが上手になって、T-Oneに入って、神奈川区でおじさんたちを勝たせてほしいんだ。 ナオ:わかった。 ユウ:いいよ。 タク:そうする。 所長:そのためには、ママのオッパイたくさん飲んで、早く大きくならなくちゃね。 ナオ:ママのオッパイ、あんまり飲めない。 ユウ:パパが独り占めしてるから。 タク:パパもオッパイ飲むの? 所長:しょうがないパパだなあ(苦笑) パパは、オッパイは飲まないよ。 ナオ:じゃあ、どうして? 所長:……きみたちもそのうちわかるときがくるよ(汗) ユウ:ふ~ん。 タク:ねえねえ、おじさん、T-Oneのなかで、だれがいちばん上手なの? 所長:きみたちのパパだね。ユウ君とタッ君のパパはボレーがすごくうまいんだ。 ナオ:ぼくのパパは? 所長:ナオ君のパパはストロークがすごいね。それに足が速いから、どんな球でも追いついちゃう。 ユウ:その次に上手なのは? おじさん? 所長:それはおじさんの口からは言えないなあ。ほかのおじさんも、この記事を読んでるかもしれないからね。みんなそれぞれ、人より上手いところがあるし。 タク:じゃあ、Mコシのおじさんは何がうまいの? 所長:携帯電話でメールを打つのがうまいよ。 ナオ:じゃあKバヤシのおじさんは? 所長:1日のうち最初の1時間だけはすごくうまいよ。 ユウ:じゃあTハラのおじさんは? 所長:尺八を吹くのがうまいよ。まだ誰も聞いたことがないけどね。 タク:じゃあ、おじさんは何がうまいの? 所長:お酒を飲んで踊りをおどるのがうまいよ。 ナオ:ボク、テニスやってもいいけど、おじちゃんたちとやるのイヤだ。 ユウ:ボクも。 タク:ボクも。 ●ご用とお急ぎでない方は応援のワンクリックをお願いします。→ #
by tennis_passtime
| 2006-06-15 03:24
| ●自薦BEST
![]() ![]() ![]() ![]() アーサー・アッシュは黒人として初めてウィンブルドンを制したテニスプレーヤーであり、プロスポーツの世界で頂点を極めたトップ・アスリートである。しかし、彼の自伝『静かな闘い』(NHK出版)は、コート上での闘いの記録ではない。引退後の第二の人生における闘い、とりわけ、エイズ感染判明から49歳という早すぎる死までの4年半の闘いの記録である。コートの勇者は人種差別と闘い、その人種差別を言い訳にするアフリカ系アメリカ人と闘い、エイズと闘った。 ■アッシュとマッケンロー 1979年に心臓発作を起こし、80年に37歳で現役を引退したアッシュは、81年にデビスカップ・チームの監督となり、米国を2年連続で優勝に導いた。訳書で400ページを超える自伝のなかでテニスに割かれたページは少ないが、デビスカップの3年間については比較的詳しく書かれている(意外にも、コナーズを破ったウィンブルドン決勝戦についてはほとんどスペースが割かれていない)。 とくに興味深いのは悪童マッケンローとの関係である。節度と礼儀を重んじるアッシュは、デ杯監督就任早々、わがまま放題のマッケンローと激しく対立する。就任初年のアルゼンチンとの決勝戦。試合中、口汚く審判や相手を罵ってチームの品位を貶めた天才プレーヤーに対し、アッシュは、もういちどやったらチームは棄権すると通告する。次の試合でマッケンローは感情を抑えて勝利し、米国に優勝をもたらした。 このときアッシュは、「自分の奥底にも彼(マッケンロー)と同じような性格がある」のではないかと感じ、「マッケンローが、私には抑えることしかできない感情を形に表してくれている」のだと気づく。マッケンローへの怒りは静まり、尊敬と愛情が芽生えた。 3連覇のかかった83年、こんどは米国は初戦でアルゼンチンに敗れ、マッケンローもビラスになす術なく完敗する。その試合の第3セット、1-4とリードされてベンチを立ったマッケンローはアッシュに向かって、「監督、何かよい知恵を授けてもらえませんか」と言った。そのときのことを回想して、アッシュはこう書いている。「私は笑い、彼は敗北した。あの時が二人の気持ちがいちばん通い合った瞬間だったと思う。ときには勝利より敗北のほうが美しく、満たされることがある」 ■より高いゴールをめざして 1983年、アッシュは2度目の心臓手術を受け(このときの輸血でエイズに感染)、デビスカップの監督を辞任する。健康上の理由というより、「仲間のアフリカ系アメリカ人の力になりたい」という願いからであった。「テニスコートで成し遂げたことのほかに何かをしたいと思った。神は私をテニスボールを打つためにだけこの世に送り出されたのではないはずだ」 アッシュには、南アフリカの黒人がアパルトヘイトに苦しんでいたとき、警察の放水を浴びることなく芝の上でテニスをしていた自分を責める気持ちがあった。そんな意識を重荷と感じながら、しかしそこから逃げることはせず、アフリカ系アメリカ人の地位向上のために邁進した。高度な医療にあずかれる自分の特権的な状況にも安んじることができず、無保険者の医療改善に取り組んだ。 若者を教えることにも取り組んだ。名門イェール大学から提示された教職を断り、黒人だけのフロリダ・メモリアル・カレッジで教える道を選ぶが、学生たちのあまりにも低い学力と努力放棄の姿勢に落胆する。学生に誇りを取り戻させる講義の素材として黒人アスリートの活躍の歴史を調べようとしたが、あまりの情報の少なさに愕然とする。そこでスタッフを雇い、30万ドルもの私費を投じて地道な資料集めと聞き取り調査を行ない、アフリカ系アメリカ人アスリートについて書いた全3巻の『栄光への険しい道』(A Hard Road to Glory)を出版した(ネルソン・マンデラは獄中でこの本を読んでアッシュを知り、2人は後に交流を深めた)。 ほんの数例を挙げたにすぎないが、アッシュは多くの働きを、病と闘いながら、絶望に屈することなくやってのけたのである。 ■死と闘いながらの社会貢献 1983年のエイズ感染(感染を知るのは88年)から93年に死を迎えるまでの10年間、アッシュは「プロの患者」として病気と闘いながら、数々の社会貢献を行なった。 「人生の新たな段階に深く入っていくにつれ、私は自分のしていることにスリルと興奮さえ覚え始めている。たしかに肉体的、心理的な苦痛はある。だが、病気に対し目的を持って力強く応えることに喜びのようなものを感じるのだ。コートでは何度も試合に負けたが、途中で投げ出したことはほとんどなかった。今私は負けつつあるけれど、いい試合をしている」 アッシュが「いい試合」をしてくれたことで、世界は恩恵に与っている。よく知られているのは、92年に創設されたアーサー・アッシュ・エイズ撲滅財団だ。「私にとっての希望は、私には間に合わなくてもほかの人々には間に合う治療法がみつかることです」と述べている。 もうひとつは、やはり92年に発足させたアフリカ系アメリカ人アスリート協会(AAAA)である。アフリカ系アメリカ人の運動選手が学業そっちのけでスポーツだけに没頭し、ほとんどの選手がやがて人生の落伍者となっていく実態に、アッシュは警告を発し続けた。そのことで黒人社会の反発を買いもしたが、怠惰に流れる若者を叱正し続けた。かといって若者の努力放棄を責めるだけではなく、黒人アスリートに対する学業支援、雇用支援のための団体を作ったのである。 ■Days of Grace――静かな闘い 何をするのも辛かった死の前年、家族や親戚とともに感謝祭の食卓に着いたアッシュは、「私は感謝の気持ちでいっぱいだった」と振り返っている。 アッシュの闘いは、不撓不屈にして高貴な精神のみがなし得る「静かな闘い」であった。自伝の原題はDays of Grace。Graceには優雅、品格、たしなみ、潔さ、感謝、恩恵、神の恩寵といった意味があるが、アッシュの人生はまさにgraceだったといえるだろう。 ■娘への手紙 アッシュにとって、愛娘カメラとの別れは何よりも辛いことであった(さいわい、妻ジーンにも娘カメラにもエイズ感染はなかった)。この本の最終章は、幼い娘への愛に満ちた手紙である。その要約を記して、本書の紹介を締め括ることにしたい。 ●困ったとき、迷ったとき、お父さんならどう考えるか、どう言うかを知りたければ、お母さんに聞きなさい。 ●おまえは、奴隷として米国に渡ったアフリカ系アメリカ人の子孫である父の娘として生まれた。おまえは深く根を張った大きな家系樹から芽生えた輝ける若葉だ。 ●人種差別と性差別を、ベストを尽くさないことの言い訳にしてはならない。絶望という誘惑に負けてはならない。 ●どんな人々のなかにはいっても気後れせず、ゆったりうち解けることができる人になりなさい。 ●英語以外に少なくとも2か国語を学びなさい。 ●お金に使われてはいけない。お金は快適な暮らし、教育、家族のための健康保険、困っている人への寄付、非常時のための蓄えに充てなさい。派手な暮らしをしてはいけない。 ●生涯続けられるスポーツを少なくとも2つマスターしなさい。スポーツはすばらしい。一生楽しみをもたらしてくれる。自分自身についてたくさんのことを教えてくれる。自分の感情や性格もわかるし、危機に立った時の冷静な対処、敗北の瀬戸際での反撃の仕方なども身につく。この点でスポーツほど貴重な教訓を与えてくれるものはあまりない。 ●音楽と美術に対する鑑賞眼を養いなさい。 ●時間にふりまわされないようにしなさい。することを慎重に選び、それに全力を傾けなさい。 ●良き配偶者を選び、二人に合ったルールを決めてともに歩み、許しあいなさい。 ●神に祈りなさい。頼みごとをするためではなく、何が正しいことか、神が何を望んでおられるかを知る知恵と、それを実行する意志を祈り求めなさい。 Arthur Ashe年譜 1943年 米国ヴァージニア州に生まれる 1961年 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)入学 1968年 全米オープン優勝 1975年 黒人として初のウィンブルドン制覇 1977年 ジーン-マリー・ムートゥサミィと結婚 1979年 心臓発作。バイパス手術 1983年 2回目の心臓手術。輸血でエイズに感染 1986年 娘カメラ誕生 1988年 脳手術。エイズ感染が判明 1988年 『栄光への険しい道』(A Hard Road to Glory)出版 1992年 エイズ感染を公表 アーサー・アッシュ・エイズ撲滅財団設立 アフリカ系アメリカ人アスリート協会(AAAA)設立 ハイチ難民強制送還の政策に対する抗議デモで逮捕される スポーツマン・オブ・ジ・イヤーに選ばれる 1993年 逝去(享年49歳) 公式サイトhttp://www.cmgww.com/sports/ashe/index.php ●アッシュの人生に心打たれた方は共感のワンクリックをお願いします。 #
by tennis_passtime
| 2006-06-11 17:24
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