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バティストーン兄弟(Battistone Brothers)とは何者か? こんなラケットを作ったのは誰か? 横浜テニス研究所の記事に琴線をゆさぶられた100万読者の期待に応えるべく調べてみました。以下にその結果を報告します。これはテニス史を揺るがす大発明の物語なのでしょうか、それとも飲み会の笑い話なのでしょうか。 バティストーン兄弟 兄ダン(Dann)は1976年10月4日生まれ。ツアー・プロとしてシングルスを戦うも勝てず、2000年にツアー離脱。モルモン教宣教師(リオデジャネイロ赴任)、母校ブリガム・ヤング大学テニス部コーチなどを経て、2007年にツアーに復帰しました。 弟ブライアン(Brian)は1979年8月10日生まれ。やはりシングルスで勝てず、2003年にツアー・プロの生活に見切りをつけました。兄同様、モルモン教宣教師(リオデジャネイロ)を経て2007年にツアーに復帰しました。 2人は以前から兄弟でダブルスを戦いたいと思っていたようですが、2007年に機が熟し、9月から兄弟で下部ツアーに参戦し始めました。初勝利は10月のフューチャーズ(ドロー16)。決勝で惜しくも敗れましたが、8ポイントと賞金165ドル(2人分)を獲得しました。地道にポイントを積み上げ、2008年4月からはチャレンジャー、7月からはインターナショナルシリーズにも出始めています。 奇妙なラケットの開発 一時ツアーから離れる前、弟ブライアンはジャンピング・サーブを取り入れたり、左右ともフォアで打つことを試みたりしていました。後者については、瞬時の持ち替えが難しかったのですが、グリップが2つあれば簡単だとひらめきます。ライオネル・バート(Lionel Burt)という人物に出会ったのはその頃のことでした。 バートは元プロテニス選手で、"Perfek-Grip"(握りをマスターするための練習用小道具)とか"Strut"(詳細不明ですがスキーブーツをより快適にフィットさせるものらしいです)といったアイデア商品を開発していました。ダブルグリップ・ラケットの開発には1981年から取り組んでいましたが、ブライアンと出会った頃は、まだ使えるレベルにはなっていませんでした。 ダブルグリップ・ラケットなるものを別々に求めていた2人が出会ってまもなく、ブライアンは宣教師となってテニスから離れたので、しばらくは何事も起こりませんでした。しかし、2005年にブライアンが帰国後、2人は一緒にダブルグリップ・ラケットの開発に本格的に取り組みます。1年以上かけて試合で使えるまでにしました。兄のダンも使い始め、この新しい武器を手にダブルスのツアーに参戦したというわけです。 このラケットの可能性にほれこんだバティストーン兄弟と父親は、ラケットの開発者となる共同の権利をバートから買い取っています。そのため、バティストーン兄弟は奇妙なラケットで儲けようとしているとの陰口もあるようですが、真剣に戦っています。現在のランキングは兄が201位、弟が202位です。兄弟とも、ランキングの上昇はこのラケットのおかげと認めています。 すべての新発明は普及するまでに、「猛反発」「不本意ながらの承認」「熱心な推奨」の3段階を経ると言われています。バティストーン兄弟によると、このラケットは現在、第2段階と第3段階の中間にあるそうですから、そのうちチラホラ目にするようになるのかもしれません。値段は200ドル。naturaltennis.comで買えるとあちこちに書かれているのですが、私はまだうまくアクセスできておらず、詳細なスペックや値段、購買方法などは未確認です。 電子版tennis weekの記事を参考にしました。
by tennis_passtime
| 2008-11-03 13:53
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