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サーブ&ボレーヤーがいなくなりました。鈴木貴男はいますが、グランドスラムに出てくるレベルの選手では名前が思い浮かびません。なぜ? ラケットの進化、リターン技術の向上という理由はすぐ思いつきます。また、こつこつとポイントを貯めないと上位に行けないランキングシステムでは、ストローカーのほうが安定した成績が収められて有利そうに見えます。でも、それだけなら本1冊は必要ないかも。どんなことが書かれているのか、興味津々で武田薫著『サーブ&ボレーはなぜ消えたのか』(ベースボール・マガジン社新書)を読みました。 わかったことは、プレースタイルの変遷はテニスの歴史そのものと密接不可分だということ。以下のようなことが書かれていました。 紳士淑女の社交的テニスの時代 (1)テニスは芝の上で行なう社交的なスポーツとして始まった。ネット現在より高かったが、それはボールを十分に弾ませ、打ち合いを続けさせるための必要からであった。 (2)ボレーは打ち合いを中止する意図のある問題ショットで、マナーに反すると考えられた。 サーブ&ボレー優勢時代 (1)第1回ウインブルドンの男子シングルスで、ボレーを駆使したスペンサー・ゴアが優勝。当時のネットは今より高く、ネットダッシュしてもサイドを抜かれる可能性が低かった。ゴアとの対戦を拒否する選手が現れたほど有効だった。 (2)テニスの聖地ウィンブルドン。イレギュラーの多い芝ではサーブ&ボレーが有効。 (3)プロ選手の興行が各地で開催されることによりテニスが観戦するスポーツになり、観客はパワフルでスリリングなサーブ&ボレーを喜んだ。 (4)地球の裏側のオーストラリアでは社交的なローンテニスとは無縁のサーブ&ボレーが優勢。興行基盤となる人口が少ないオーストラリアのプロは、サーブ&ボレーを引っさげて海外に進出した。 (5)テレビ中継の時間的制約から、延々と続くラリーが敬遠された。 パワー・ストローク優勢時代 (1)ラケットの進化とパワーフルな両手打ち選手の増加により、リターンからの逆襲が可能になった。 (2)テニスが1984年のロサンゼルス大会からオリンピックに復帰し、88年のソウル大会から正式種目となった。それが契機となって、自由経済のプロツアーと距離を保っていたロシア・東欧勢が世界の舞台に進出した。彼らの多くは、米フロリダ州のニック・ボロテリー・アカデミーやスペインで、ストローク主体のプレースタイルを叩き込まれていた。 (3)世界を転戦するツアーが整備されるに従い、クレーコート育ちの南米のストローカーがランキング上位に進出してきた。 (4)スポンサーによる有望な若手選手の先物買いが激化。ニック・ボロテリー・アカデミーなどの有力な選手養成機関も、素質に大きく左右されるサーブ&ボレーヤーより計画的に量産できるストロークカーの育成に力を入れるようになった。(アガシもサーブ&ボレーヤーからストローカーに転向させられたが、アガシの父親はそれに腹を立てていた。) (5)衛星放送による多チャンネル化でスポーツ・コンテンツへの需要が増し、試合時間をは気にしなくてよくなった。むしろ長いほうが好まれるようにさえなった。 ファンの嗜好は振り子のように行き来するので、再びサーブ&ボレーが望まれる日が来るとは思いますが、いまの上位選手のパワー・ストロークにボレーで勝つのは容易ではなさそうです。(サーブ&ボレーの醍醐味ということでは、サンプラスがフェデラーとのエキジビションマッチで見せてくれたサーブ&ボレーの面白さは感激ものでした!)
by tennis_passtime
| 2008-03-29 18:57
| ●読書ノート
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