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![]() 「報道ステーション」(7月30日放送)が、1992年のバルセロナ・オリンピックで金メダルを取った柔道の古賀稔彦選手を取り上げていました。 古賀選手は、試合11日前の練習中、左膝に全治2カ月の大ケガ(左内側側副靭帯=ひだりないそくそくふくじんたい=損傷)をしながら、みごとに優勝を果たしました。優勢勝ちの判定の瞬間、古賀選手が両手を突き上げたシーンを覚えている人も多いのではないでしょうか。 15年ぶりにケガの瞬間の映像を見て、私は思わず顔をしかめてしまいました。柔道選手は痛いことには慣れていると思うのですが、よほどだったのでしょう、古賀選手は大声で悲鳴をあげていました。ボキッという大きな音がした、体験したことのないような痛みだった、と自ら述懐していました。 番組を見ながら当時のことを少しずつ思い出しました。歩くのも困難と報じられていたのに、試合に出場しただけでなく、金メダルまで取ってしまった古賀選手の奮闘に大いに感動し、テレビの前でもらい泣きをしたものです。と同時に、そんなことが可能なのか、どんなケガだったのか、どんな治療を受けたのか、と不思議に思ったものです。あるいは敵をあざむく作戦だったのだろうか、などと思ったりもしました。 ケガと金メダルのあいだの11日間、古賀選手はどのような治療を受け、どのように準備をしたのでしょうか。以下、報道ステーションが報じた内容の紹介です。 まず、なにはさておき氷水のバケツに足を浸けて冷やし、ひたすら安静にしました。11日間も練習から遠ざかると筋力が衰えますが、運動しているのと同様の効果が得られるリンパマッサージを施して筋力の維持に努めました。体重が規定を4キロオーバーしていましたが、運動できないので食餌制限で落とすしかなく、凍らせたスポーツドリンクをかじって食事代わりにしました。悪いことは重なるもので、冷やしすぎで腓骨神経が麻痺してしまいましたが、それはEMS(低周波筋肉刺激)によって回復を試みました。 古賀選手の精神力、医師やトレーナーの適切な対応、コーチや選手仲間のサポートなど、すべてが合わさって実現した奇跡的勝利だったといえるでしょう。もちろん最大のファクターは古賀選手自身の負けじ魂です。レポーターの松岡修造によると、古賀選手はそれを「決心」という言葉で語っていたそうです。 安静を強いられた11日は、長い努力の年月に支えられた、爆発的な11日ではなかったかと想像します。あらためて深い感動を覚えました。 以下は蛇足です。 身体を顧みない根性論は取り返しのつかない結果につながることもあり、この手の話を手放しで賞賛することには危険もあります。 A but B A=あきらめないで挑戦したい B=無理をせず治療を優先すべき AとBのどちらをbutの前に置き、どちらを後に置くべきか。本人を含め、だれも事前に正解を知ることはできません。
by tennis_passtime
| 2007-07-31 00:19
| ●スポーツ(テニス以外)
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