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ブログのネタにしようという軽い気持ちで、守能信次『スポーツルールの論理』(大修館書店)という本を手に取りました。刑法や民法などの法理論を引き合いに出しながら、スポーツのルールの存在目的や機能、形式や満たすべき条件などを整理している本なのですが、理屈の部分は私には難しすぎて歯が立ちませんでした。
とはいうものの、なにしろスポーツのルールについてあれこれ書いている本ですから、具体例やエピソードには、なかなか面白いものがありました。卓球と野球の話を、それぞれひとつずつ紹介させてください。 卓球の促進ルールがなぜ制定されたか、これが制定される前はどんなことになっていたか、ご存知ですか? 1935年のある国際試合で、1 ポイント決まるのに20分、1590回ラリーが続いたことがあるそうです。1933年の東郷健勝旗争奪戦・中学の部で、午後6時に始まった試合が神田YMCAの閉館時刻である9時になっても決着がつかず、場所を京橋の卓球研究所に移して続行し、終わったのは午前2時だったそうです。 これでは卓球が廃れるというので、1934年に1試合の制限時間が1時間になり、1953年には「促進ルール」が制定されたそうです。以来、何度か「促進」の度が増し、いまでは10分経過しても1ゲームが終わらなければ促進ルールが適用され、レシーブ側が13回返球すれば自動的にサービス側の失点となります。 野球のルールの変遷もなかなか面白いです。 そもそも勝敗の決め方からして、1845年には21点先取というものでした。現在の9イニング制になったのは1857年。ボールとストライクの宣告は1863年に始まっています。1870年から1887年まで、打者がボールの高低を要求できました。ボール何球で出塁できるかは、1879年9球、1880年8球、1881年7球、1884年6球、1885年7球(1球逆もどり)、1887年5球、1889年4球で現在に至っています。三振アウトは1880年から始まったそうです。投球はアンダーハンドのみでしたが、1881年にサイドスロー、1884年にオーバースローが認められました。出塁できるボール球の変遷の部分には、卓球の促進ルールと同じ事情が背景にあったのかもしれません。 ●ご用とお急ぎでない方はワンクリックをお願いします。 ![]() ●もっとご用とお急ぎでない方は▶所長の読書ブログもご笑覧ください
by tennis_passtime
| 2011-04-21 22:45
| ●雑学・技術・科学
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