全豪に勝ってすべてのサーフェスを制し、涙するフェデラーの肩を抱いたナダル。強さと威厳を認めないわけにはいきません。王者の風格を感じます。そんなナダルの知られざる(知られてる?)一面が垣間見えるインタビュー――ラファエル・ナダルではなく、おじでコーチのトニー・ナダルのインタビュー――がTENNIS誌(Jan/Feb2009)に掲載されていました。ほんの少しだけ紹介させてもらいます。
コーチとしてどこに強みがあると思うか?
メンタル面と規律面でしょう。生活とテニスの両方で。私は厳格な人間で、普通のありかたを好む。だからラファエル(注:トニーは甥を「ラファ」とは呼ばない)を特別扱いしません。練習後にはブラシをかけさせるし、バッグは自分で持たせる。時間があるときには、ラケットは自分でストリンガーのところに持って行かせる。
ラファエルからコーチ料は受け取ってない。彼の父親(つまりトニーのきょうだい)とやっているビジネス(レストランとガラス・窓製造会社)が順調なので、他にお金は要らないんだ。父親からは、「とんでもない、受け取るべきだ」と言われたが断った。「ラファエルからは受け取れない。自分がチーフでいたいからね。もし金をもらったら彼がチーフになってしまうかもしれないじゃないか」ってね。
ラファエルのテニスはオーソドックスではない。若いうちは批判もあったと思うが、どう対処したのか?
批判はむしろ彼が頭角を現してから増えた。ありとあらゆる立場の人が、ここをこうしろ、あそこをどうしろと口を挟んできた。だが、ラファエルには、決めるのはおまえ自身だ、と常に言い続けた。もちろん、役に立つこともあるから、すべての意見を聞いたし、なかには取り入れたアドバイスもある。目は2つより4つのほうがよく見えるからね。
テニス理論は本を読んで研究したのか?
いや。私に言わせればテニスはシンプルなスポーツだ。強く打つ、ライン近くに打つ。それだけのことだ。コーチもジャーナリストもトレーナーも、複雑に複雑に考えようとしている。ラファエルは、かなり上位にいたときでも、自分が使っているストリングのこともラケットのことも気にかけていなかった。あるとき、エージェントの勧めでラケットを量ったら、20グラムもばらつきがあった。すべて完璧に整っていなければできないというのでは、何かがちょっと狂うと対応できなくなる。
ラファエルの闘志の源は何か?
2つある。生来のメンタルな強さと、子どものころから頑張り抜いてきた蓄積だ。われわれはくたびれたボールや、イレギュラーの多い痛んだコートでも練習した。ラファエルは、ミスをしたときでもバウンドやラケットに腹を立てることはなく、自分を責める。それが彼のメンタルを強くしている。
若者だから反抗することもあるのでは?
ない。ラファエルは規律を知っている。このごろの子どもは年長者を敬わない。とてもよくない傾向だ。ラファエルは私の前でラケットを折ったことは一度もない。靴紐をほどかずにシューズを脱ごうとしたことがあって、「お前にとってシューズの1足ぐらい何でもないだろうが、ほかの人にとっては違う。それは高価なものだ」と叱ったことがある。規律正しくない人間は嫌いだが、その点、甥は立派だ。
もてはやされる若者に分別を保たせるのは難しいのでは?
病院でも、ゴルフ場でも、ディズニーランドでも、わたしたちは特別扱いされそうになるが、ラファエルには、「これは正しい事じゃない。おまえは他の人と同じだ。テニスをやめれば特別扱いされなくなるんだから、最初から普通に人と同じにするほうがいい」と言っている。ラファエルはそれを受け入れている。
トニー・ナダルについては、相手の好プレーに拍手するシーンを何度もテレビで観る機会があり、感じのいい人だなあと思っていました。いつどこの試合だったかは忘れましたが、ラファエルを破って優勝を決めた選手がファミリーボックスに飛び込んできたとき、自分から握手の手を差し伸べて祝福したことがあって、潔い姿勢に感服しました。
技術面や戦術面の話(とくにNo.2としてフェデラーを追いかけていたころの話)も知りたかったですが、徹底した規律(discipline)重視の方針がよくわかる、興味深いインタビュー記事でした。
一点だけ気になったことがあります。ペットボトルを置く位置にこだわり、食べかけのバナナの皮を几帳面にそろえるナダルが、ラケットの重さを気にしていなかったというのは本当なのでしょうか? インタビュアーにはベンチでの宗教的(?)儀式についても聞いて欲しかったです。
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